2016/02/06

 イワセンさんの自己研鑚、そして教師としての学びの蓄積に感化された。これをきっかけに改めて教師としての学びをブログに書き綴り、仕事の日誌や学びをここに報告する形で記録を取り続けることに決めた。

 短いつぶやきはアイフォンのポストエバーで継続。ブライバシーに関わることや特別支援ノートはクラウドに送らずに全て個人的なファイルで記録を取る。

 

 気負わずに、教材研究や失敗のレジュメなどで積極的にブログを利用していきたい。

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レポート・論文の書き方_読みたい本まとめ

 これらはいつか、買う予定!

レポート・論文の書き方入門

レポート・論文の書き方入門

 

 

新版 論文の教室―レポートから卒論まで (NHKブックス No.1194)

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この1冊できちんと書ける!  論文・レポートの基本

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これからレポート・卒論を書く若者のために

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これから論文を書く若者のために 大改訂増補版

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100ページの文章術 ?わかりやすい文章の書き方のすべてがここに?

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卒論_進捗状況

2015/02/10

 アブストラクト;要約が完成。序論は既に大枠ができているので、本論と結論を今日中に完成させる。引用文献リストは明日作り上げればOK。

 全体を貫く問いができたので、あとは論証をしていけばできあがる!2/13金曜日に提出するが、そのときにアウトライン(レジュメ)と論文の原稿をゼミで見せながら報告できるように、今日(火曜)と明日(水曜)に無理せず、シンプルに仕上げていきたい。

 あとは、スクールカーストを制度としてでなく、秩序として捉えるという視点をオヤジから助言をしてもらった。なので、秩序については詳しく社会学の観点からいずれ丁寧に学びたいと思い、この日誌にも本をメモしておいた。

 

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接続詞_論理的な文章を書けるようになるため_メモ

1)順接
いかにも
かくして
こうして
このため
このために

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社会学_のちに研究したい「タルコット・パーソンズ」本メモ

 一冊目は社会学の知見を深めるために読みたい本

現実の社会的構成―知識社会学論考

現実の社会的構成―知識社会学論考

 

 

 2冊目〜4冊目はタルコット・パーソンズについて学ぶため。

特に「社会秩序」について知りたい。秩序に関してはタルコット・パーソンズよりも詳しく研究した人がいるようならば追加でそちらも学びたい。

タルコット・パーソンズ―最後の近代主義者 (シリーズ世界の社会学・日本の社会学)

タルコット・パーソンズ―最後の近代主義者 (シリーズ世界の社会学・日本の社会学)

 

 

文化システム論

文化システム論

 

 

知識社会学と思想史

知識社会学と思想史

 

 

不登校:登校拒否についての研究書 古典なのかも?これは読んでおきたい。

登校拒否のエスノグラフィー

登校拒否のエスノグラフィー

 

○コミュニケーション能力の是非について学ぶ

「コミュニケーション能力がない」と悩むまえに――生きづらさを考える (岩波ブックレット)

「コミュニケーション能力がない」と悩むまえに――生きづらさを考える (岩波ブックレット)

 

 ○小馬徹先生が書いている部分を読みたい。

コミュニケーションとしての身体 (叢書・身体と文化)

コミュニケーションとしての身体 (叢書・身体と文化)

 

 ○人類学_笑いについて学びたい。 

笑いのコスモロジー (人文学研究叢書 (15))

笑いのコスモロジー (人文学研究叢書 (15))

 

 

 

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『大人問題』五味太郎

子どもをとらえるまえに、大人について考えるために良い本でした!

大人問題 (講談社文庫)

大人問題 (講談社文庫)

 

◯そもそも「わかった」人間が「わからない」人間に教えていくという今の教育の構造が、全部まちがっているんだと思います。たとえば、文学をやってきた人間が「わたしはもう文学のことがわかった」、絵を描いてきた人間が「絵がわかった」っていうなら、その人、もうおしまいです。

 唯一あるのは、「わかりたい」子が「わかっていそうな」大人に聞くという構造です。それならまあ、性教育もなんとか成り立つのではないかと思います。

 たとえば、女の子を見てドキッとする、あの男の子が横を通っただけでドキッとする、これはいったいなんだろう、四六時中あいつのこと考えてるこの気分、なんかおかしいのかなあ、って。で、その子が耐え切れなくなって大人に聞いたときに、「そういうことって、わたしも昔ありました」という、そのひと言で少し前進できる。そういう苦しさとか不思議さとか、わけのわからない感じというのも、一般的にはあるということを知るのは、それなりにありがたいことです。

 その子は、その心のもやもや、体のもやもやについて意識している。「わかりたいな」と思っている。そういう学びたい、知りたいという、その子の必然ができてきたときに、はじめて「教育」というものが、現象として成り立つのだろうと思います。

 そのときにいちばん必要なのは「わかっている」人ではなくて、現役でやっている人、つまり今でも「わかろうとしている人」です。「人生、そこらあたりが問題なんだよね」と問題を世代を超えて共有できる人。そのことをいまだそれなりにやっている人間、音楽やってる人間、絵をやってる人間、文芸やってる人間、そして人生やってる人間が、学びたいと思った子どもには教材になるなと思います。教材は常に「いい教材」ばかりの必要もありません。P155,156

◯ぼくは子どもをとらえるときに、「新人」「ルーキー」という言葉でとらえるのが好きです。彼ら新人、ルーキーをずっと見ていると、なんかとても楽しいのです。自分もそうだったんだけど、「こいつ、これから何をするんだろうか」という感じの楽しさ。あるいは「いつ化けるかな」という一種の緊張感。そういう見方、とらえ方、つき合い方、この社会にはあまりにも少ない気がします。

 新しい人間、ルーキーが次々に出てくる一方で、おじいさんお婆さんはだんだん往生していく、その自然の流動がスムーズに行けばいいんです。大事なのは、その流れを阻害しないこと。それだけだとぼくは思います。p156

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