森毅『まちがったっていいじゃないか』
森毅『まちがったっていいじゃないか』
1.抜き書き
・集団が外の世界にたいして壁をとざしたがるのは、本当は外の世界を気にしているから、ということもある。
・理屈にたっしゃで、論争に強かったりするのだって、考えものだ。人間というものは、他人の理屈で納得することは、まずない。自分の考えとして、納得しなければだめだ。理屈の上で他人に抑えつけられたって、むかつくぐらいのものだ。ときには、理屈に負けてくやしまぎれに手を出す、なんてのもよくある。
・テストの問題が難しいときは、シメタ、これは自分にもできるぞ、と思うことだ。
まあ、これは別に、受験にかぎったことではないのであって、ものごとはたいてい、良い面と悪い面がある。なるべく良い面に目を向けていると、楽観的になれる。いつでも悪い面を見ていると悲観的になる。
そして、楽観的のほうに、運がつきやすい。
・本来は、友人というのは、それぞれに自分の心をとっておきながら、触れ合いのなかでいたわりあうものだろう。それは完全に重ならず、完全には通じ合わぬ、断念の上で成立する。
・本当は他人に教わる。自分と同程度、もしくは自分以上にわかってない、他人から教わる。
★人間としてのつきあいには、身分なんかいらない。
・過去に努力したかどうかなんて、どうでもよいことであって、そんなものを他人に認めてもらったところで、つまらない。いま、どうなのか、そして、これから、どうしようとしているのか、それだけが問題なのだ。
・人間(たち)を楽しむために、自分を高みにおくのだけは、よくない。自分ひとり高いところに立って、あれこれ人間をコバカにしたって、人間の本当のおもしろさなんて、わかりっこない。同じレベルでいるから、おもしろさが感じられるのだ。あるいは、もっと底にまで立ちいたって、やさしさを共有することで人間のおもしろさに、味が出てくるのだ。
★もっとも、ぼくだって、中学生の立場にたてないことぐらい、承知している。「相手の立場」などに、すぐ立てそうに言う人もあるが、あれは思いあがりだと思う。おとなは子どもの立場に立てないものだし、教師は生徒の立場には立てないものだ。
それで、中学生についての、さまざまな問題に、答えを出すのは、中学生であるきみたち自身よりない。おとなたちの答えやきみたちの間の、さまざまの答えのなかで、きみの答えを選ぶよりない。